母猫は偉大なり

今年の夏のことです。

不妊手術をするために病院へ連れて行った雌猫ですが、お腹があまりに大きくなりすぎていてこのまま堕胎手術をするのは母体に危険すぎるという判断で、我が家へ連れて帰りました。

それがこの子です。ハロンと名付けました。

確かに大きなお腹です。

そして我が家に来て3日目には出産しました。

野良猫を家で出産させるのは私も初めてでした。

1部屋をハロンのお産にあてがって、部屋には落ち着いて出産出来るようにと段ボール箱を置きタオルを敷いて準備をしていました。

ところが彼女が選んだお産の場所は、畳のない板の間の部分でしかも机の下の暗くて見え辛い場所でした。

ハロンは餌場へ現れる猫の中でも気が強く、なかなか馴れない子だったと餌やりさんは言われていました。

気が強い上に出産で気が立っていて、子供を産んだ後も母性が強く、ご飯を届けてやる私に向かって毎回唸り声だけでなく50センチほど前に飛んで威嚇してきていました。

そのために生まれた子猫が何匹でどんな柄で、みんな元気なのかさっぱりわからない日々が続きました。

猫の出産は本当に静かできれいなものです。

8月30日の午前11時ごろに「ミーミー!」と元気な声が聞こえたきりそのあとは何日も子猫の声がしません。

全てはお母さん猫ハロンが独りで産み、胎盤や子猫の排泄物もきれいに食べてやり、お部屋はとてもきれいなものでした。

ところが、子猫が少しずつハイハイして移動するようになって子猫の目が猫風邪で腫れて潰れていることに気付きました。

本当は1ヶ月半くらいまではハロンちゃんにお世話をお任せして、母乳もたっぷりあげて欲しかったのですがこのままでは子猫の目が塞がってしまうと判断し、生後2週間で心を鬼にして母子を離しました。

実はハロンちゃんは大変な猫風邪を引いていて、その治療も出来ないまま出産を済ませたのです。

5匹の子猫たちの内の3匹はお母さんの猫風邪のウィルスをまともにもらった訳です。

母子を引き離した時のハロンの恨めしそうな悲しそうな顔は今でも私の頭から離れません。

「絶対にこの子たちを幸せにするからね、ごめんね・・・」と誓いました。

それからの子育ては本当に大変なものでした。

たった今まで母乳を飲んでいた子は、そう簡単にミルクの乳首を吸ってはくれませんでした。

それでも飲ませなければ死んでしまします。

お母さんから離した途端、風邪を引いていなかった子までもが風邪を移されて全員が大変なことに。

抗生剤を飲ませるには小さすぎて、お医者さんにはとにかくミルクをたくさん飲んでまずは体力をつけることですと言われました。

飲まない子に飲ませるのは本当に時間と根気と体力が必要でした。

今思えば虐待に近いのではないかと思うほどの強制給餌。

5匹の授乳に2時間ほどかかっていました。

お母さん猫のように24時間ついていてやれないために、子猫たちの体はいつも大便がこびり付き毎日それをお湯で洗ってやるのにも時間を費やしました。

やっとの思いでこの大きさにまで育った時には、生後3週間が過ぎていました。

この寝顔を見たら疲れも吹っ飛びましたけどね。

やっと抗生物質を投与できる大きさになり、風邪による結膜炎はきれいに治り、ミルクも頑張って飲んでくれるようになったのは生後8週間を過ぎてからでした。

柄も様々で個性も様々。

母猫ハロンにそっくりなサバトラのオスはゴジラ君に、一番小さいパステル三毛のメスはみかんちゃんに、個性的な柄黒三毛のメスはラオンちゃんに、キジ白のオスは炭治郎に、黒猫のメスはねずこに、それぞれ可愛いお名前をもらって今は里親さんのお宅でとても大切に可愛がられています。

母猫ハロンは、母子離した後に避妊手術をし餌やりさんの元にリターンしました。

ハロンちゃん、あなたの子供たちはみんな優しい素敵な里親さんの元に貰われて行って幸せになりましたよ。

あの時は辛い思いをさせてごめんね。

これからは自分の身だけを守って、どうか健やかに生きてね。

それにしても今回の5匹の子猫たちの子育てを通して、母猫の偉大さを痛感しました。

この子育てを厳しい外の世界でやっていかなければいけない母猫。

そりゃあガリガリになりますよ、これを毎回繰り返していたら短命にもなりますよ。

やっぱりなんとしてもTNRをコツコツしなければと改めて思いました(タカハタ )

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